【不妊治療②】「妊娠しにくいかもしれない」と初めて知った日 ②
前回の続きです。
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診察を受けた病院で大学病院の紹介状を書いてもらい、後日、紹介状を持って大学病院へ向かいました。
突然のことで頭が追いつかず、すぐに母へ電話をしました。
車で迎えに来てくれた母は、
「どんな結果でも、ママが絶対になんとかするから」
と、涙ぐみながら話してくれました。
不安でいっぱいだった私にとって、その言葉だけが希望で、本当に支えられました。
今振り返っても、あのときの母には感謝しかありません。
翌日、大学病院で詳しい検査を受けました。
診察の流れは緊張していたせいか、正直あまり覚えていません。
でも、結果は良性でした。
本当にほっとしたのを覚えています。
ただ、安心したのも束の間。
腫瘍は良性ではあったものの大きく、いつねじれてもおかしくない状態でした。
長時間ねじれたままになると卵巣へ影響が出る可能性があるため、できるだけ早く手術をした方がいいと説明を受けました。
しかし、その病院では手術の日程が合わず、近くの病院へ転院することに。
気づけば、あっという間に手術が決まっていました。
手術前には、たくさんの検査を受けました。
その中に子宮頸がん検診も含まれていたのですが、ここで引っかかってしまいます。
結果はASC-USでした。
細胞に異常がみられるものの、軽度異形成とは断定できない段階との説明を受けました。
また、異形成は自然に改善することもありますが、一部では進行することがあるため、私は経過観察となりました。
さらに、超音波検査ではネックレスサインという所見がありました。
卵胞が真珠のネックレスのように並んで見える状態で、多囊胞性卵巣症候群(PCOS)を疑う所見の一つとのことでした。
その際、医師からは
「排卵しづらい傾向があるため、妊娠しにくい可能性があります。」
と説明を受けました。
当時の私はまだ学生でした。
結婚も、子どもを授かることも、現実的にはまったく考えていませんでした。
だからそのときは、「そうなんだ」くらいの気持ちだったと思います。
でも今振り返ると、この日が
「自分は妊娠しにくいかもしれない」
と初めて意識した日だったように思います。
その後、卵巣嚢腫の手術は無事に終わり、子宮頸部の細胞も経過観察の中で自然と改善しました。
一方で、PCOSについてはその後も付き合っていくことになります。
当時の私は、そのことが数年後、自分の妊活につながっていくなんて想像もしていませんでした。
次回は、私が不妊治療を始めるまでの経緯についてお話ししたいと思います🌱
※この記事は、私が当時受けた説明や経験をもとに書いています。診断や治療方針は人によって異なるため、気になる症状がある場合は医療機関へご相談ください。

